イギリス・日本の2拠点でFIRE

自分と未来は変えられる  選択肢を広げる生き方

「お拝殿のような家だね」

-- FIREまで325日  

※2022年2月2日から、上記日付を1年前倒した。  

 

これは父方の祖母が結婚して家を持ったときに、親戚から言われた言葉だ。

拝殿の中という画像検索をしてもらえば分かると思うが、要は広いがモノが無いということだ。

 

今のミニマリスト用語だと「ガラーン」ということだ。

 

もちろん誉め言葉で言われたのではなく、モノが全然無くあなた達貧しいわね、という強烈な皮肉で言われたのだ。

 

この昔話は叔母(祖母の娘)から教えてもらったのだが、祖母が叔母(つまり娘)に言ったということは、祖母は大そう傷つき消化できなかったのだろう。

 

父方の家は、祖母が中学生の時に火事になり全てを失ってしまった。

この土地で再建するより新天地に行ってやり直す方がいいと言われたらしく、ブラジルか北海道を勧められ、年寄りや小さい弟らを連れて一家で北海道に渡っている。

しかし何代も続いた家を閉ざすわけには行かないと、長子であった祖母(当時14歳)だけを置いていったのだ。

現代では考えられない。

 

祖母は近県の医者の叔父の家に預けられた。

就職のタイミングで地元に戻り、養子を取って家を継いだ。

 

一般家庭に電話もない時代だから、祖母が北海道にいる自分の両親に連絡をつける手段はなかった。

他県の叔父の家に預けられ「お月さんを見ては泣いた」と祖母から私も良く聞いていた。

この月を北海道のお父さんやお母さんも見ているだろうと。

泣ける。

 

その祖母が結婚した私の祖父は、長男では無かったので養子に出されたのだが、当然両方ともお金がない。

 

家を買ったお金がどこから出てきたのか知らないが、屋根はあっても家具が無かったのだろう。

新婚の家を見に来た親戚に「お拝殿」と揶揄されてしまったのだ。

 

ミニマリスト視点からすると、お拝殿のようなガラーンな家に住みたいと思うのだが、祖父母は傷ついただろうな。

 

ここは名誉挽回。

羨ましがられるような家として、私が「お拝殿のような家」を実現しようじゃないかとこのストーリーを思い出す度に思う。

(まだまだ遠い・・。)