イギリス・日本の2拠点でFIRE

自分と未来は変えられる  選択肢を広げる生き方

始まりは理系イギリス人夫の「リタイアしたい、リタイアしたい」(日本の労働観編)

前回のおはなしはこちら↓

 

copacabana.hatenablog.com

 

 

何度もリタイアという用語を耳にするからと言ってすぐに「じゃあリタイアするか!」とは当然至らなかったわけで、そもそも私には仕事を辞めるということが選択肢に無かった。

選択肢に成り得るということを理解してなかったという方が正しい。

 

 

今でこそ終身雇用が必ずしも約束される労働環境ではなくなったが、自分たちの親世代はどうだろうか?

少なくとも、私の両親、祖父は全員、同じ所に定年まで勤め上げた。(祖母は子育て一旦家庭に入り、復帰後は別の仕事に就いた。)

全員が全員、堅い仕事or優良企業で、あったのは転勤くらいだった。

 

定年まで真面目に勤め上げる事を良しとする環境で育った私には、

「リタイア=仕事を辞める=怠け者=」という結論が即効できていた。

子育てや病気、会社の倒産で仕事を離れることはありえるとしても、働ける体で(しかも働き盛りという年代で)仕事があるのに辞めるとは、何たる堕落か!恥ずかしい!

 

私の家族の中で強く根付く労働を美徳とする価値観の背景には

・やっている仕事が社会の役にたっている

・給料が家族の生活を支える基盤になっている

という認識があったから、また実際そうだったからだと思う。間違っていない。

 

この理解を2部分に分けてみよう。

・「A:やっている仕事」が「B:社会の役にたっている」

・「A:給料」が「B:家族の生活を支えている」

 

Aは手段、Bは目的だ。

「が」→「で」に変えると分かりやすい。

 

自分の家族も同意してくれると思うが、大切なのはB(目的)だ。

A(手段)は不道徳・犯罪行為でなければ、どんな手段であったっていいではないか。必ずしもフルタイム勤務でなくてもいい。たまたま自分の周りがそうだっただけだ。

しかし、当時の私はまだそこまで考えが至らず、育った価値観に沿う方法でのリタイアの可能性を考え始めることにした。

 

(続く)