先日ニュースになっていた、故ジャニーズ喜多川氏の性加害疑惑を取り上げたBBCのドキュメンタリーをBBCで見た。
「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル(Predator: The Secret Scandal of J-Pop)」
これは衝撃的なドキュメンタリーだった。
印象的だったのは、ジャーナリストのMobeen Azhar氏(42歳らしい)が、とってもフラストレーションを抱えていたことだった。
なぜジャーナリストがフラストレーションを抱えていたのか?
それは、被害を受けた本人からも、説明責任のあるジャニーズ社からも、そしてそれをだいたい知っている世間からも、何も反応が無いからであった。
イギリスでもエンタメ業界での性加害スキャンダルはあり、大きな社会問題になった。
その加害者を使っていたBBCも責任を問われ、きちんと説明し改革を約束していた。
今回の問題を日本で取材すれば、被害を受けた人、世間一般から大きな怒りの声が出されると想像していたに違いない。
私もそうだ。
ところが、日本の場合、このジャーナリストの言葉では、総じて「無関心」なのである。
彼は、加害(容疑)者に対してではなく、日本のその無関心さに憤りを感じていることがひしひしと画面から伝わってきた。
言葉は悪いが、被害を受けた人よりも怒っていたように映った。
なぜ私達日本人、日本社会はこのことに無関心なのだろうか?
私も母国のことなので考えた。
1)ホモセクシュアルということにみんなが注目した?
日本では、まだ成人男性、特に中高年の男性のホモセクシュアルが珍しいと言っていいと思う(存在していても、表にはカミングアウトしていない)。
なので、このジャニーズスキャンダルは、社長がホモということの方に関心が集まってしまったのではないか?
ホモ(ゲイ)というのは別に悪いことではないので、注目はされたが、そこで止まってしまったのではないか?
2)「セクハラ」を超えた「性加害」であったという認識の欠如
容姿についてコメントしただけでも、言われた人がそう感じればセクハラとなる。
ハラスメントはもちろん嫌がらせであるが、今回の疑惑は嫌がらせのレベルをずっと超えた、性的加害である。
セクハラ疑惑ではなく、性加害疑惑、もっとストレートに言うと、レイプ被害という表現であったら世間も違っていたのではないか?(実際はそう報じていたのかもしれないが。)
3)男性が被害者になりえるということへの理解の欠如
女性が性加害を受けたら、「それはひどい!」とすぐ分かる。
もし、日本の女性アイドルグループがプロデューサーから性加害を受けていたとしたら、すぐに社会は反応しただろう。
被害を受けている様子だって、女性が被害者だったらすぐに想像がつく。
しかし、男性の被害はなんとなく女性の被害よりダメージが少ないような感覚があったのではないだろうか?
これらは、客観的に考えた日本の「無関心」さの原因であるが、その根底には自分も同じ様に感じていたことを否めないからである。
今回、顔出しでインタビューを受けた元ジュニアの人の1人は、涙を流し、されたことを描写していた。
とても傷ついていることが分かった。
一方で、出演していたそれ以外の元ジュニアの人は、あまり傷ついていないように映った。(グルーミングによるからだという心理専門家の見解もあったが。)
私は最初の人のインタビューを見て、当然他の人もそうだろうと思っていたので、他の人から違うコメント(ジャニーさんが好き、どっちもどっち、自分も同じ状況になったら受け入れる等)が出た時には衝撃だったし、それはジャーナリストの彼にも理解できない点だった。
私は、この問題がBBCによって取り上げられ、それを逆輸入することでしか問題としてスポットライトが当たらないことを、心底恥ずかしいと思った。
これだけ世界的に主要なメディアでドキュメンタリー化されても、日本の大手メディアは相変わらずだんまりである。
恥ずかしすぎる。
出演した元ジュニアは合計4人。
でも、被害を受けていてもインタビューの依頼があっても断った人は沢山いるだろう。
彼らがどのように感じているのか、感じてきたのか、私達はこの問題の静けさの理由をきちんと理解しなければいけない。
BBCは忖度せずに、よく取り上げたと思う。